対策の後日談は意外なもの。あのとき見た男の腕はなんだったのか?
さまざまな対策を施し、ここまで散々苦しんできた心霊体験についてすっかり悩まなくなってきた頃、そのころには低血糖状態で眠りに落ちたとしても、心霊体験はなく低血糖の一般的な症状のみで目を覚ますようになっていました。
低血糖状態自体も、医学的な対策によりかなり頻度と程度が軽くなっており、その日は半分ただの昼寝、ちょっとだけ低血糖状態のような、誰にでもよくある食後の眠気で寝落ちしてしまったようなときのことです。
普通に目を覚ますと、一人で寝ている自分の隣に、男性の腕が一緒に布団に入っていました。
とりあえずの私の反応は、「んん?」という程度です。自分の布団に男性がいるはずがないということは即座にハッキリ認識していましたが、たまに私の部屋に勝手に訪れるいたずら好きな弟がいるため、すぐに「弟か」と思ったのです。
これこそ、私が色々調べたときに出てきた「異常な状態に説明をつけるために脳が勝手に思い込む」現象だったと思います。
だって、平日の昼間でしたし、弟が悪ふざけするにしても、姉の布団に入り込んで一緒に寝るなんて気持ち悪すぎますよね。
変だと思いながら、私は上体を起こし、腕の主を見ようとして自分の隣を見ます。
ベッドの横には誰もいません。シングルベッドですから、ベッドの横の床が見えるだけです。
誰もいないのに「誰?」ととっさに言いました。声は普通に出ますし、金縛りや低血糖の症状はありませんでした。
順調に冴えてきた脳でよくよく考えてみれば、この状態で腕が布団の中にあるということは、ベッドの下に人が潜み、腕だけを布団の中に突っ込んでいるという事になります。
そうではない。ただ身体のない腕が自分の横にいると気が付いて、ゾッとしました。
もう一度腕を見やると、紺色のスウェットのようなものを着た痩せたその腕は、布団の中から浮かび上がってきました。それと同時に、スウェット部分がうっすらと消えていき、手だけが宙に浮かんだようにになっていきます。
「うわ!幽霊だ!」と、そのとき思いました。
初めてみたもので興味の方が勝ち、まじまじと見ていると、その手の甲は土気色でガサガサしていて汚れている印象。大きくまだらに赤い部分があり、ガリガリに痩せていて、死人の手のように見えました。
それが宙にぼんやりと浮き、私の身体に向かってゆっくりと手を伸ばしてきました。
特にセクハラでもなさそうだと思ったのですが、触られるのはもちろん嫌で、そこで初めて本気で焦りました。
「どうしよう!?」と思ったときに思いついたのは、霊が見えるという先輩が言っていた「投げ飛ばせ」という言葉です。「むりむりむりむり」と思ったので、布団の端を持ち、多少ためらった後、手に向かって覆いかぶせるように投げつけました。
数秒間、その布団を見つめていたと思います。「膨らみがない……」と確認して、呆然としていました。
「やっぱり、実体がないんだ」と思ったことを、ハッキリと覚えています。それを確認しなければ納得できないほど、その手は透けるわけでもなくハッキリと見えていたからです。
さらにしばらく悩んだ後、意を決して布団をはがしました。もちろん、そこには何もありません。
「あーやっぱり幽霊だったか」と思い、妙に納得した私は普通に布団から出て立ち上がり、冷蔵庫に水を取りに行きました。
いつも通りに寝起きの水を飲みながら、「幽霊見ちゃった。」とだけ頭に浮かんでいて、どうすればいいのかわからずしばらくぼーっとしていました。
思い返すと、このとき目を覚ます前に見ていた夢で、痩せた男の人が出てきてニタニタ笑ったりしていたな。起きてからも夢を見ていたのかな…などと思いながら。
考察:医学的検証では一切説明がつかない「幻視」
低血糖状態も、睡眠障害も、医学的には心霊現象の体験を引き起こすと考えられています。すなわち幻覚ですが、ここで改めて私が見た手の医学的な説明を調べてみた私には、以前の考察とはまったく違う見方となりました。
何故なら、起床時に意識がハッキリした状態で、現実だと信じて疑わないほどの幻覚を見るのは、一部の認知症かアルコールや薬物の依存症患者、脳腫瘍などの、重度の脳の障害だけらしかったからです。(幻聴や他の幻は別で、幻視について)
私の持病では脳の障害が起きないとされているため、残念ながらこの程度のことで脳を徹底的に調べることは出来ず、この可能性を潰すには至っていません。もしかしたら、どこかにちっちゃい腫瘍や血栓でもあったのかも。
ただ、どう考えても医学的に、私が男性の腕を見た説明はつかないのです。
思考も記憶もクリアで論理的。身体の動きに違和感もなくすぐにベッドから立ち上がれている。その後心配になって知人の痩せた腕の持ち主が死んでいないか確認しようかと思ったものの、思いとどまったところを見ると、幽霊を見た記憶があり得ないことであるという認識もあり、現実的な思考力にも問題なし。
ちなみに、こういうときにストレスが原因だと言い出す人が(残念ながら医者にも多く)いますが、私は精神保健福祉士の国家資格を持ち、常日頃心の健康について勉強しているメンタルヘルスの専門家です。ストレスが原因でハッキリと現実と思い込む「幻視」の例は、今のところ一般的に世の中には一切出回っていないため、あり得ません。もし心霊現象の体験をストレスが原因だとする人がいたならば、フィクションの影響による間違った見解かと思います。
ただ、これまでの金縛りと睡眠時の心霊体験はただの睡眠障害による幻覚であり、このときの幻視だけが本物の心霊体験だったという可能性は十分にあるということは述べておきます。金縛りの際の見えない男とこのときの実態のない腕はまったくの別人でしたし、まったく体感も違う体験だったため、結び付けて考えるのは間違った結論を導く恐れがあるでしょう。
ただとにかく、私はたった一度ですが幽霊らしき実体を持たない何かを見てしまった。それは、医学的に説明できない。それは、私の中では事実です。
うやむやでもいいのかも。結局うやむやな心霊現象は続く。
その後、記憶に残っている経験では、2度だけ、心霊現象っぽい体験をしました。
一度目は、幽霊を見たと思ってから1カ月もしない頃のこと。また低血糖状態になってしまい眠っていると、誰かが私の両手を握るんです。そのとき、疲労のせいか私はバンザイの姿勢で眠っていました。
うわ!手握られてる!と思いながら、離して!やだ!関わりたくない!もう見ない!と念じました。このときは、目も開いていなくて半分夢のような体験だったのですが、私の両手を包み込むように握る誰かの手の感触はハッキリと覚えています。
このとき、なぜか頭の中に、私の部屋の光景と、部屋の中央にある大きな姿見の辺りから窓に向かって歩いていく、昭和の野球少年の姿が見えました。10歳過ぎたくらいの少年で、タンクトップに短パンで丸坊主、バッドを引きずって歩く後ろ姿です。
この体験が、本当にその人たちが居たように感じたことを、霊が見えるという先輩に話してみたところ、「手を握っていた人は親戚とか血縁関係がある人っぽい。野球少年は別に悪くないし、むしろ紗綾を守ってくれた感じがする。わかんないけど、たぶん悪いものじゃないから大丈夫だよ」と戸惑いながらも伝えてもらいました。
さらに「最近よく見るんだけど、紗綾の腰の周りに手を回して抱きついてる男の人がいるんだよねー。そのとき紗綾がたいてい、腰痛そうに身体ひねったりしてるから笑っちゃうんだけど」と大笑いされました。
一緒に「腰にしがみつくってなに!?フェチなの!?」なんて笑って、それでいいのかなと思いました。
その体験をきっかけに鏡の位置を見直し、それ以来は1年以上も怖い体験はしていません。
それから長らく心霊現象について悩むことをやめて現在。この記事を執筆中のことです。
霊が見える芸人さんヤスさんのYoutubeを流しながら眠りについたせいか、ヤスさんの夢を見ました。段々とその夢から覚めて、目を覚ましたか覚まさないか曖昧なときに、部屋の鏡の前からしゃがれ声の男の人の声が聞こえてくることに気が付きます。あれ、夢の中のヤスさんの声じゃない!え!誰?どういうこと?と思い、さらに、低血糖状態でろくに動けないこと、男の人とは別の誰かが自分の布団の横にいることにも気が付きます。
段々と目が覚めるにつれて男の人の声はすぐに聞こえなくなり、布団のところにいる女の子の手の感覚だけが残りました。両側から、両手で私の身体の横を起こそうとするように押してくるんです。
見えないけど、15~20歳くらいの女の子だと感じました。
久々の感覚でしたが、今回は自分よりも若い女の子が相手だったのもあり、フル回転で頭を働かせ、怒ったり脅したりするのではなく、「とにかくもうやめて」「私は何もできないから」「お願いだからいなくなって」などと言ってみました。このとき、ただの金縛りのときとは違い、声はハッキリと出ていました。
最後に、無理にでもこの状態から逃れる決心をして、「本当に、私もう動くから!」と強く言うと、急に心霊的な体験はすべて消え去り、わずかに動けるようになりました。
実際、このときは酷い低血糖状態だったため、動けるようになってからもフラフラで意識もハッキリしませんでした。
やっぱり身体の調子が悪いとき、幻覚を見やすいようです。夢と混ざった中にある、不思議な体験、それが心霊なのか、ただ私の脳が作り出した幻想なのか、いつまで経っても結論を出すことは出来ないと思います。
結論に近い考察:触覚型の霊感&霊感の発動条件説
実は、霊感は幽霊が見えることだけを言うわけではなく、さまざまな霊感の形があるそうです。鳥肌や頭痛など身体の感覚で感じる人、匂いでわかる人、何も五感の反応はないけど頭の中にイメージが浮かんでくる人、映像がパッと頭に浮かぶ人……。そして、霊に触られたときだけ、そのことがわかる人。
私は触覚型の霊感を持っているのでしょうか?
また、霊感はある・ないとハッキリ分けられるものではなく、特定の精神状態や思考の状態、状況や体調などによって、変動するものなのだそうです。
お酒を飲んで酔っているときだけ視える人、極度の緊張状態にあるときだけ霊感が発揮される人、逆にぼーっとしていて何も考えていないときだけ霊感がある人、身近な知人が亡くなったときにだけ霊感が強くなる人など、多くの条件が人によって異なる出方をするのだとか。
特に多くの人が口を揃えて言うのは、「実生活に意識が向くと霊感がなくなる」というものです。社会人になって仕事が忙しくなると自然と見えなくなったとか、子どもが生まれてから見なくなったとか、常に今ここにある現実に追われていると、心霊的な世界とは波長が合わなくなるそうです。
さらに霊感が強い人たちの間では、「もう幽霊は見ない」と念じると視えなくなると言っている人が多くいました。
私にとっても、それらの条件には心当たりはあったのです。私が心霊体験をしたのは、決まって心霊現象に興味を持っているとき。そして、他人のスピリチュアルな話をぼーっと聞いているときや、低血糖状態で意識が薄れているときなど、現実に意識が向いていないときです。
心霊現象がピタリとやんだのは、これらの発動条件説を知り、「私はもう幽霊を見ない。関わらない」と強く心に誓ってからでした。
ちなみに私は、いつか幽霊を見ているときの脳波と、見えないときの脳波を、研究者が発見すると思っています。もしかしたら、霊感がある人が幽霊を見ているときの脳波は、入眠時幻覚が起きているときの脳波に非常に近いものかもしれません。
心霊現象に対する私の見方。多領域の多角的な相互作用の反映
私は、これほど多くの人が当たり前のように認める心霊現象が、存在しないとか嘘だとはまったく思いません。
心霊現象だと思われている現象のなかに、思い込みやこじつけが多くあるのは真実です。それは、多くの心霊肯定派も認めていることで、ここで論じるまでもないでしょう。
問題は「科学的に証明できない存在」との向き合い方です。
ここまで様々な説を述べてきましたが、みなさんお気づきでしょうか。医学的に論理的に考察した部分も、オカルト的に考察した部分も本質は同じです。
「どう説明するか?」が違うだけで、どちらも客観的な証明は一切できていないのです。
今現在、心霊現象はあくまでも本人が感じる「体感」としてしか存在はしておらず、誰もが同じように観測できる現象としては存在していません。
ただ、「愛」を代表として、体感としてしか存在しないものは、この世の中でとても大切で、大きな存在でもあります。
ときに愛も存在しないというひねくれた人もいますが、世間一般になぜ心霊現象ばかりが多くの人から、「科学で実証できないからあり得ない」という偏った見方をされるのでしょうか。
心霊現象がこれほどまでにあり得ないとか、バカげているなどと人の心を強く揺さぶるのは、人間にとってもっとも残酷にハッキリとした、「物理的な、現実的な、科学的な、そして感情的な絶対的現象=死」を覆すものだからではないでしょうか。
「死」を覆すもの。それを人の心は受け入れがたいのです。
どんな科学を駆使しても絶対に超えられない壁。どんな論理的思考で説明しても避けられない痛みと絶望。どんな感情で向き合っても、実際に会って触れることと同じ気持ちにはなれない寂しさ。決定的で徹底的な「存在の反対」。
それを超えてくる何かの存在を受け入れながら、絶望的な死に向き合うことが、現代人にはとても難しいのだと思います。
死んだら会えないはず。何もできないはず。という思いが強いからこそ、幽霊は怖いし、気味が悪いし、認めたくない。
でも、昔の人は当たり前のように受け入れてきたことです。
死んでもなお残る価値を感じ続けることを、現代人は美しいロマンの物語のように捉えますが、昔の人は違いました。……なんていう綺麗にまとめる結論は今はどうでもいいです。
心理的に受け入れがたいことの構造を、自覚するということが大切なことと思います。
現代人は、科学の力で証明できるものに価値を置き過ぎました。物質の豊かさが、人間の生活をあまりにも素晴らしく、発展させてきたからです。
でもまだまだ、科学はすべてを証明は出来ないし、科学で証明できるものだけが存在ではありません。
心霊現象について疑い反論する人は、宇宙はなぜ存在するのか、なぜ海に波が起こるのか、なぜ量子コンピューターが働くのか、解説してみてください。
それが出来ないなら、幽霊がいると証明できない人を否定し笑う権利はありません。
私自身、科学を信じる現代人です。
一連の体験で、正直とても自分の認知や価値観の根幹を揺るがされました。
説明できないことに向き合うことがどれほど難しいことか。
これまでグダグダとくだらない論理を述べてきた私の文章を読んでくださった方はわかってくれると思います。
そんな自分の不安な気持ちをどうにかしたくて、さまざまなことを学びましたが、もっとも役に立ったのは「体感」だと思います。
周囲の幽霊が見える人に話を聞いてみました。気休めでもいいから心霊対策をしました。自分で納得できる程度の金額を払い、霊能者数人にも会ってみました。占い嫌いだったのにタロットカード占いを始めました。
たくさんの疑うべき体験もしながら、そのなかで自分が信じられると感じるもの、説明はつかないけれどこれでいいやと思えるもの、とりあえず大丈夫だと思えることを体感で学びました。それは、自分が行動して色々なことを受け入れてみないと獲得できない安心です。
ただ、きちんと言葉で説明したい私は、ここで先人たちの知恵を借りてご説明させていただきたいと思います。
ヒント:生命の樹の思想
私が正しいと思った思想は、カバラというユダヤ教から発展して西洋魔術を学ぶオカルティストたちや神秘主義者と呼ばれる人たちの間に伝承されてきた思想の中にありました。
ここではカバラ自体の学術的に正しい説明は省きますが、カバラでは10の領域とその繋がりで象徴される生命の樹という神聖な構図をもとに世界をみます。10の領域は、次元の違いであり、異なる性質のエネルギーであり、違った見方であり、異なるアプローチでもあります。その10の領域は区別するために定義された領域ではなく、象徴的なもので、世界のすべてを理解し本質に近づくための道しるべとして、多角的な見方をするための方法のようなものです。
カバラの考え方を発展させて、現代人向けにわかりやすく説明するのであれば、私なりの理解としてはこのようになります。
例えば、電車の中で眠っている人が自分が降りる駅についたときハッと気が付いて降りていく現象。これを、守護霊が視える人は「守護霊が起こしてた」と言い、脳科学者は、意識の一部が起きていてちゃんと周りの音を認識していたと言い、一般人的な感覚では体が時間を記憶していて起きられるなどともと言います。
カバラ的な考え方をするのであれば、そのすべてが同時に正しく、守護霊が起こしているとき、そのエネルギーは医学的な脳の意識に影響し、はたまた周囲の空気やその人のルーティンとも相互作用しあい、あらゆる領域のすべてが、起きられたという現象に反映されていると考えるのです。
科学は正しいとか、オカルトは怪しいとか、そんな単純なことではないです。
肩こりが酷いとき、あなたはどうしますか?病院や整体院にいきますか?高い肩こり対策グッズを買いますか?マッサージや足つぼにいきますか?眼精疲労が原因だとして、画面の明るさ調整や目薬で解決しますか? 生活習慣を改善しますか?
レイキのヒーラーに治してもらいますか? モーツァルトの癒しの音楽を聴きますか? 霊能者に視てもらいますか? 宗教的に高い徳を積みますか?
今のネット社会では「これで一発」とか「〇〇するだけ」とかのうたい文句が流行っていますが、人間はそういうのが好きなんです。楽だから。でも、たいていの場合はそれで一発解決するわけではありません。
人は、様々なアプローチのなかで、自分が正しいと思う考え方や価値観、自分にとって理解しやすく実践しやすい分野で解決しようとしますし、それが楽ですが、一つの方向性を定めてしまうと解決しないことの方が多いのです。
金縛りが起きて誰か人が居ると感じるという一つの現象の中にも、様々な見方があり、そのすべてが正しく、どれかに偏ることなく、バランスのとれた考え方をすることで、真理に近づけるのでしょう。
医学的なものだと断定して脳をどれほど研究しても、心霊現象だとしてどれほど凄い力を持った霊能力者に頼ったとしても、偏った考え方は必ず歪んだものになります。
カバラ生命の樹の思想では、どれほど神聖な力に近づいたとしても、それを物質世界の現実の体験で役立てることが出来ないのであれば、役に立たないとしています。そして、どんな考え方やアプローチでも、正反対のもののどちらか一極に偏ることは、それが何であっても危険である、と教えます。そして、狂気や妄信によって現実に害を及ぼすことをもっとも避けろと常に警告します。
最終的に、どれかの結論をつけようとすることではないんです。大切なのはあらゆる領域での理解をしようとし、「現実と照合して考えること」そして「バランスを保つこと」。
私にとって初めて触れる、宗教っぽい怪しいものでありながら、カバラ生命の樹は現実的な捉え方を教えてくれました。
結論:心霊現象との向き合い方
私のように悩んできる人がいるなら、それがどんなことでも自分の中で、バランスの取れた考え方を見つけてみてください。多数の分野の考え方を取り入れ、そのなかでもさらに多角的に分析しながら、考えてみてください。無限の可能性を想定し、検証し、感じてみてください。
そのなかで、少しでもあなたの現実に害を及ぼすものは、間違っている。何かに傾倒し、思想が染まってしまうのであれば、間違っている。正しい間違いや白黒で結論づけようとすることは、間違っている。
あらゆることの相互作用とバランスを見つけてください。
結果的に見つかる真理とは、確かにあなたの感じる現実で整合性が取れるものであり、あなたが現実のなかで実際に助かるものなのです。
単純な言い方をすれば、私にとっての心霊現象は、医学的&オカルト的アプローチをすることが正しかったのだと思います。さらに、人間関係や仕事の状況、栄養状態、メンタルヘルス、考えうるすべての要素が影響して起きたことなのでしょう。
どれかが原因だと結論づけることは簡単です。でも、果たして本当にそれで現実の私の悩みは解決するでしょうか?
現実的に解決したのだから、それでいい。その過程で学んだことは、また別のときに別の形で、少しずつ日常のなかで、役に立つでしょう。偏らない活用方法さえ知っていれば。
常に疑い続けること。模索し続けながら現実のバランスを保つことこそが、これからの私に対する結論です。
「心霊を信じるから霊が見えるという人の発言を信じる」「心霊を信じないから霊が見えるとか言う人間は信じない」こういった二元的な、白黒つけようとするだけの考え方が、現代人の大きな過ちです。
あらゆる考え方や見方を取り入れつづけ、何も妄信せずに世界を見る人になりたいと、私は思います。
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