「愚者の旅」大アルカナの物語とタロットカードが辿る魂の旅

大アルカナの物語 愚者の旅 タロットが辿る魂の旅
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タロットカードの重要なプロットである大アルカナは、0番にも位置される愚者から始まり、21枚の段階を経てまた愚者から始まる魂の旅を表しています。
それは、人が人生上で直面するような旅でもあり、魂が輪廻転生していくなかで辿る宇宙の法則も表します。

大アルカナはタロットカードのなかでも、その人にとって重要な局面や、精神的に重大な部分を表すと言われます。
実際の人生は愚者の旅の大アルカナの順番で進んでいくものではありませんが、カード1枚1枚とその繋がりが、人生上で今直面している問題のヒントになるでしょう。

大アルカナを順番に歩き、想像力を働かせ、愚者となってそれぞれの人物に会い、その段階における試練と向き合い、すべての登場人物となってカードの物語を感じてみましょう。
それは一度たどれば忘れないような物語であり、何度でも辿りなおして成長していく、永遠に繰り返すサイクルの旅なのです。

  • 0.愚者は大アルカナの旅の始まり。サイクルの終わりからスタートへ

    大アルカナの22枚のカードは「愚者の旅」と呼ばれます。
    愚者は大アルカナのすべてに繋がっていく始めの存在であり、また大アルカナの終わりにある「世界」から循環してまた生まれてくるサイクルも表します。愚者の後にはすべての大アルカナの段階があり、そして愚者の前には常に一つ前のサイクルの終わりの世界があります。
    愚者は0からの出発であるのと同時に、過去の21枚の旅路を終えてきた魂の生まれ変わりなのです。

    愚者は何も持たない存在でありながら、真の意味で0からのスタートなわけではなく、サイクルのなかで0からのスタートになるポイントを表します。
    愚者のスタートは壮大な旅を終えた魂が、まっさらな状態でこれからまた新しいことを学ぼうとする精神と、過去のサイクルを後にして一歩を踏み出すことの象徴です。
    愚者の一歩では、過去の記憶から何かを恐れることも、未来に向けての展望のために力を入れることも、現在抱えていることからくる責任やプレッシャーを感じることもありません。
    そして、まだ0である愚者の先には何が広がっているかまったくわからず、無限の可能性を目の前にしているのです。

    愚者のカードが現れたとき、次の段階が魔術師の段階とは限りません。実際の人生においては、魂の旅のように順を追って進んでいくものではなく、また愚者のカードの性質それ自体、次に何が待ち受けているかは未知でどこにでも向かう可能性があるのです。

  • Ⅰ.ポテンシャルを実現へと向かわせ方向性を定める段階の魔術師

    何が起こるか知らない無限の可能性に踏み出していく愚者の次の段階として、魔術師はあらゆるポテンシャルを持ち、それを具体的な実現へと繋げていく段階です。
    魔術師の持つポテンシャルは4大エレメントの象徴で示されています。そして、天と地と繋がり、まっすぐに自己を示す存在なのです。

    魔術師はここで、「何を創り上げるか?」「何を求めて行動するか?」という意志や目標を定めるのです。まだ具体的な行動を始めていませんが、未来に向かって自己を確立し、第一歩を踏み出す準備ができています。
    愚者の旅におけるこの段階は、完全な自己実現へと向かって行くための、最初の精神的な転機になるでしょう。

    魔術師が現れたとき、自己が確立されているのでこのまま進んでいけばいいと捉える場合と、このポテンシャルの段階から方向性を定める必要性があると捉える場合があります。どちらかの解釈が正しいというわけではなく、そのときのリーディングにおいて、魔術師がどんな意味を持って現れたのか、じっくり向き合ってみてください。

  • Ⅱ.行動する前の大切な悩みの段階。内なる知恵を育てる女教皇

    魔術師が定めた自己実現の道へと向かうとき、その道に迷い悩み、真実の知恵を探し求める人々は精神の神殿を訪れます。人は誰しも、重要な大きなことを始める前には、しっかりと悩み向き合う時間が必要です。
    そこにたたずむ女教皇は、行動を始める前に自己と向き合い、深く潜在意識へと潜って記憶をたどり、自らの思想と心を理解して最大限の精神的な知恵を発揮することを助けてくれるでしょう。
    それはまだ何も行動しない、動かないときでありながら、これからの旅において自分自身を支えていくための重要な段階になります。

    女教皇が象徴する力は、直観や予感、自らを顧みる能力や潜在意識からのメッセージを受け取ることです。この先へ進むために、このようなスピリチュアル的な第六感的な力の使い方を知っておく必要性を伝えているとも言えるでしょう。

  • Ⅲ.愛と喜びの女神。その情熱とエネルギーですべてを生み出す女帝

    俗世から離れて自らの内的な世界に浸る女教皇とは対照的に、女帝は豊かな生命力と魅力を爆発させ、すべてをこの世に産み出します。
    自らと向き合い、知恵を育てたあとに必要なのは、行動と創造へと向かうエネルギーです。人は、何かを成そうとするとき、行動を起こすとき、そのエネルギーを生み出す夢と情熱が必要です。
    女帝は、すべての未熟さを成長させ変化を進める活力であり、動く力のない心を救い出し輝かせる誘惑であり、疲れ停滞した人を癒す美と快楽なのです。常に活き活きとして、溢れんばかりの人生の豊かさを育み、すべてを守り育てて輝かせる母なる女帝がここにいれば、実現できないことなんて何もありません。

    女帝は頑張って生きるすべての人にとっての幸運の女神です。
    人生の素晴らしい面、美しい面、喜ばしい面に目を向け、前に進むことを教えてくれます。この段階では、すべき・しなければならない・すると良いという考えを元に行動するのではなく、生きる喜びと純粋な生命の輝きからエネルギーを得るときです。

  • Ⅳ.実を結び現状を確立した皇帝。秩序と責務を守る姿勢

    愚者の旅はここで最初の成功を納め、現実的な地位に落ち着いて実力を使いこなせる段階になります。野望や夢のために行動する段階から、成功を知り現状を守る姿勢への変化です。
    ここで、皇帝は自らの野望や勇気や能力をコントロールすることを学び、確信を持って自らが築き上げたものを支配します。
    皇帝が象徴するのは現実的な物質的な世界での成功であり、完成です。権威にふさわしい態度を取り、責任を持ち、能力を使いこなして、周囲を導き世界のなかでの自分の立場を得るのです。

    皇帝が象徴している成功は、幸福や人生に充実を感じることとは違い、物質的・客観的な成功であるというところに目を向けてみてください。
    皇帝が持つ豊かさは、あなたを幸せにしていますか?皇帝の資質を、あなたはどのように使いこなし、自らのものとしますか?

  • Ⅴ.より高みへ、高次の精神と知恵を得るときに出会う教皇

    現実的な豊かさを得た皇帝での成功の後、より高い段階へと進むために教皇に教えを乞います。それは神聖な世界へと近づこうとする精神の試練でもあり、先人たちや目上の人から学ぼうとする姿勢や、自分にはまだ理解できないレベルの知恵を得ようとする試みでもあります。
    人は自分自身の知見から抜け出し、己の世界を飛び出して高みへと広げていくことで真に成長していけるでしょう。教皇が象徴するのはそのとき伸ばした手を導く存在であり、素直に学ぼうとする人々が教皇の前にひざまずくのです。

    教皇は天の知恵を受け取り地へと伝えていく存在ですが、タロットカードを理解する際は人物にばかり目を向けるのではなく、その世界と物語を理解することが大切です。このカードが現れたとき、どの視点から、どの立場から、その意味を受け取るのかが重要なポイントになります。

  • Ⅵ.正反対の性質が一つになる神聖な結婚。祝福される恋人

    愚者の旅における恋人のカードは、人生上の結婚のように重大なイベントですが、男女の愛だけでなくあらゆる物事においての結合や融合、そこから生まれる祝福を表します。
    より高みから学ぶ段階だった教皇から、恋人のカードでは異なる価値や学びを自分のものとして結合させる段階になったのです。

    喜びがなければ悲しみもなく、その両方が人生のなかで重要な意味を持ち、どちらも併せ持った人間の心こそが、美しく祝福されるべきものです。
    黒か白、受動性と活動性、物質的世界とスピリチュアルの世界……異なる正反対の性質の両方を知り、受け入れ、どちらも称えることで、新たな世界が開けます。もう一段階上の完成を知り、それを喜び愛することを恋人たちが象徴しているのです。

    愚者の旅における恋人のカードは、タロットカードを学ぶ人にとっても大切な学びの段階になるでしょう。恋人のカードだからといって、恋愛や結婚、人間関係に関することしか受け取れないようでは、タロットカードを使いこなせているとは言えません。カードの象徴から伝わってくるメッセージを直観的に受け取り、想像力を働かせてみましょう。

  • Ⅶ.ひたすら前進するエネルギー。探求と冒険に迷わない戦車

    愚者の旅はここで大きく変化へと向かい、戦車は迷いなくただひたすらに前進します。恋人のカードの世界がどんなに心地よいものでも、次の段階へと進んでいくのです。
    大アルカナの中でも最もシンプルなメッセージを伝えてくる戦車ですが、戦車の前進は物理的に場所を移動するような旅だけでなく、愚者の魂の旅を次の段階へと進めるだけの前進でもなく、思考を進めることや、精神的・感情的に乗り越えること、行動して変化させることなど、さまざまな前進を象徴します。人は停滞して留まって幸せで居続けることは出来ません。どのような形でも、どのような意味でも、前に進み続けるのです。
    戦車は、愚者の旅の歩みのなかでも、特に前へと進み続ける力の象徴として現れます。

    戦車を動かすエネルギーはどこからくるものか?戦車に乗る人物はたずなを握ってコントロールするのか?戦車に乗って進むことで何が変化するのか?その前にあるものに、どのような姿勢で立ち向かっていけるのか?
    戦車のカードが現れたとき、前進することの意味をさまざまに考えさせられます。

  • Ⅷ.動物的な攻撃性と本能を受容し飼いならす人間性の力

    とにかく前進してきた戦車の次に現れるのは、自らの中にある動物的な部分や本能的な欲望と上手く向き合いなだめる力、そしてそこから生まれる新たなエネルギーです。
    ここで立ち向かう野獣は、本能的な欲の象徴ですが、それだけでなく物質的欲望や世俗的な私利私欲、辛さ、悩み、不安などの負の感情、人生のあらゆる障害や苦痛も象徴します。
    それに打ち勝つための力=エネルギーは、野獣すら飼いならす受容と慈愛の力、欲に打ち勝つ精神的な忍耐力、問題を乗り越える生きる力など、さまざまな性質の力です。

    何かを得るため、成すために成長してきた愚者の旅は、4の皇帝で物質世界での成功を納め、次の段階へと進みます。魂の修行を続けた先にある8の力での完全性は、精神的により成熟した、魂レベルでの安定と秩序です。

  • Ⅸ.世界から離れ、独り暗闇を照らし進む隠者

    慈愛と優しさの強さを示す力のカードから、愚者の旅は世俗から隠遁し逃れていくようにも見える年老いた隠者の道へと進みます。
    隠者が進む暗闇は、周囲の人や環境とは距離を置いた孤独な道です。それは自分自身の無意識の世界でしょうか?死者が歩む冥途でしょうか?
    ここからの道は、現世で生きる現実的な人生と自分の性格や性質のことよりも、より魂的な旅であり、天に近づく領域になっていきます。隠者は魂を導く存在なのでしょうか。
    隠者の光は、他者を導く灯台の光にも見えますし、スピリチュアルな体験について表現されるときの光にも見えます。
    自分自身の現実を向上させるための旅ではなく、次元を超えた世界の一部としての自己を追求していく魂の旅への道を、隠者は照らし切り開くのです。

    4や8を超えた完全な達成を象徴する10の前にある9の段階は、根本的な劇的な変化を迎える準備の段階です。産まれ出る前の胎児のように、安全で快適なこれまでの世界を手放し、危機を乗り越えることで光へと出ていくことが出来ます。

  • Ⅹ.宇宙の法則を表す運命の輪と大アルカナのサイクル

    隠者が辿った道の後、愚者の旅はここで大きな側面を迎え、大アルカナのなかでも新たなサイクルへと向かう前の一つの悟りへと到達しました。

    上昇したものは下降し、下降したものは上昇する。生命や運命のすべての存在は生と死のサイクルを繰り返し、この世のすべての物事は変化していく。
    その宇宙の法則を回すのは、4大エレメントに象徴される宇宙のエネルギーであり、運命の輪は大アルカナの物語が辿るサイクルを象徴しています。

    運命とは果たして、自らが選び取ってコントロールできるものなのでしょうか?それとも、宇宙の力に逆らうことは出来ず、勝手に回転を繰り返しそこに巻き込まれるしかない、車輪のようなものなのでしょうか。運命の輪は、運命とは何か?どう向き合うべきか?大切な問いを投げかけながら、次の段階へといざなっていきます。

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