「愚者の旅」大アルカナの物語とタロットカードが辿る魂の旅

大アルカナの物語 愚者の旅 タロットが辿る魂の旅
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タロットカードの重要なプロットである大アルカナは、0番にも位置される愚者から始まり、21枚の段階を経てまた愚者から始まる魂の旅を表しています。
それは、人が人生上で直面するような旅でもあり、魂が輪廻転生していくなかで辿る宇宙の法則も表します。

大アルカナはタロットカードのなかでも、その人にとって重要な局面や、精神的に重大な部分を表すと言われます。
実際の人生は愚者の旅の大アルカナの順番で進んでいくものではありませんが、カード1枚1枚とその繋がりが、人生上で今直面している問題のヒントになるでしょう。

大アルカナを順番に歩き、想像力を働かせ、愚者となってそれぞれの人物に会い、その段階における試練と向き合い、すべての登場人物となってカードの物語を感じてみましょう。
それは一度たどれば忘れないような物語であり、何度でも辿りなおして成長していく、永遠に繰り返すサイクルの旅なのです。

  • Ⅺ.完全に客観的で神聖な正義が自然と下される

    運命とは勝手に進むようで、その歯車が向かう先で見えてくるのが正義のシステムです。
    正義は、物事はすべて影響しあい原因と結果をもたらすものだという法則の元、客観的で現実的な正義が下されることの象徴です。
    罪と罰や因果応報を象徴するカードではありますが、ここでの正義は公平性とは関係がなく、均等にもたらされるような単純なものでもありません。
    大いなる自然の法則のなかで調整されていくこと、偏ったものには必ずバランスがもたらされ、善い行いにも悪い行いにも客観的な事実によって回りまわってくるような結果のこと、そして人間の理解を超えた神聖な領域での正義のことを指します。

    愚者の旅の次の段階へ進むとき、正義は完全に客観的な神聖な目線から、魂の重さを量り、その先の未来をもたらします。

    特にここから先の段階のカードでは、現実的ではない神聖でスピリチュアルな世界の物語を象徴したカードが多く、そのままの解釈と実際のリーディングにおける解説では意味が違うように思える部分も多くなっていきます。
    実際のリーディングでは、正義のカードが象徴するのは、むしろ世界の理ではなく人間の法や物理的で実際的なバランスであるといった見方も出来るのです。
    カードの物語はあくまでも象徴として捉え、現実的な解釈へと反映させていくという、タロットカードの本質的な使い方を学びましょう。

  • Ⅻ.すべてを受け入れ神聖へと委ねるため吊るされた男

    この男には正義が下り、罰を与えられて吊られたのでしょうか?正義の下にもなお存在する世の中の理不尽に対し、この男はどう感じているのでしょうか?
    愚者の旅の次の段階へと向かうために、より高いレベルの世界と繋がるために、吊られた男は天から与えられるすべての試練や苦痛を受け入れ、積極的に受容することを選びます。
    そうすることで、自らが足掻き行動して変えようとすることでは得られない、高次の視点と知恵と繋がることが出来るのです。
    そして、実際に自らの肉体を天へと捧げ、または地よりも下へ落とされることも受け入れることで、彼は次の段階へと昇っていきます。

    一見迫害を受けているように見える吊られた男が穏やかでリラックスな姿勢をしている様子や後光が差している様子から、このカードの本質は図れます。不吉な印象を与えるカードにも、細部の象徴や背景、その先の未来まで視点を広げることで、カードの教えが見えてくるものです。

  • ⅩⅢ.死は常にあらゆる自然のサイクルの中にあり、次の段階へと導く

    次の段階へと向かう愚者は、ここで絶対的に常にすべての存在へと付きまとう「死」と対峙します。
    死神は骨格だけの純粋な物質としての存在を浮彫にした姿で現れます。
    自分という人間の現実という皮をはがして本質を見れば、身体の細胞も、昨日までの自分が持っていた価値観や自己像も、過去の習慣も生活も、すべてはいずれ腐り滅び、新たな別のものへと変化していくのだ。死を、破壊を、変化を恐れるな。と死神は言います。
    死はすべてのサイクルの中の一部であり、前に進むために必要不可欠な段階です。次の段階への変化が大きな進歩であればあるほど、その破壊は徹底的で圧倒的な姿で現れるでしょう。

    タロットカードが表すのは出来事や結果ではありません。それとどう向き合っていくか?という問いかけです。現在のあなたの魂の旅のなかで、何に備え、どんな考え方や姿勢やエネルギーを使い、どうすると決めるのか?カードは問題の本質を伝え、神聖な知恵を授け、解決への気づきを与え、ときにエネルギーを与える純粋な味方となるのです。

  • ⅩⅣ.すべての中間で対極の概念を超え、より高い領域へと導く節制

    死の徹底的な破壊と荒廃のあとに現れるのは、完全にバランスの取れた平和と調和です。
    すべての概念は対極の概念があるから存在し、違いがあるからこそ結合すれば新たな素晴らしいものへと変わります。
    男性性と女性性、活動性と受動性、火と水、愛と憎しみ……異なった性質の中間で融合させることで、すべてを超えた理解と新たな世界への扉が開くでしょう。
    肉体と魂はそれを超越した存在へと変わり、意識と無意識さえも混ざり合い、自己と他者の境界線すらなくなり一つとなるため、次の段階へと昇っていくのです。

    このカードを節制という言葉で捉えようとすると、ピンと来ない方も多いかもしれません。節制のカードは、足りないものは補われ、偏ったものは調整され、バランスの取れた一つのものへと融合していくことで、平和と発展がもたらされることを象徴します。
    愚者の旅という視点では、節制の平和と発展は死者の魂の悟りと成仏のようなものでしょうか。現実を超えた領域での悟りは、正しいや間違いではなく、白黒つけようとする精神を捨て、概念を超えた新たな受容にあるという解釈ができます。

  • ⅩⅤ.人間の本性と心の底の深い問題と向き合わせる悪魔

    魂を癒し高みへと導く節制の後、悪魔は人間の現世における醜い欲と動物的な本能を象徴し、人間の魂を支配し縛り付ける存在として現れます。
    悟りへの道は、本能を押さえつけて我慢することや、己の中にある醜い欲望を無視して目をそらすこと、心の中の汚れた部分を罰して切り捨てることでは進めません。
    自らの中にある悪魔の性質と向き合い、恐怖や嫌悪感を乗り越え、創造的な情熱とエネルギーに変え、すべての生命と恵みに対する祝福へと変えていけるでしょうか?

    タロットカードの不吉なメッセージを、愚者の旅のなかでの試練として解釈できれば、乗り越えれば明るい未来が待っているということも、乗り越えるために必要なプロセスのヒントも与えることが出来ます。悪魔のささやきは不吉の象徴ではなく、自身の心の最も深くにある問題と向き合う必要性であり、それをエネルギーへと変えていける可能性です。

  • ⅩⅥ.エゴと自己愛で積み上げた塔からの解放と神の啓示

    己の本性と欲望と向き合い、乗り越えた先にあるのは衝撃的な神の啓示としての破壊です。
    一人の人間としての自分の欲望、より高みへと近づきたいと願うエゴがある限り、この先の領域へと進むことは出来ません。
    今までに積み上げてきたものは無に帰し、何もない純粋な状態へと墜落させ、強制的に天を見上げさせる閃と炎のすさまじい力は、大いなる神聖な力の象徴です。
    現世での自分の自己愛も自我も手放したときに、神聖な光の世界へと繋がっていく精神を得られるのです。

    次の段階へ向かうときに、今までの自分が築き上げてきたものを手放すことは、人間にとって最も困難な課題のうちの一つと言えるでしょう。それはときに、抗えない運命の力で強制的に起きる試練ですが、どんな形で起きた破壊にしろ、新たな視点を得ることができ、再び確立する前に基礎からやり直すチャンスを生みます。

  • ⅩⅦ.世界の輝きの一部となり、癒しと平和をもたらす星

    暗く醜い精神の闇である悪魔と、徹底的な塔の破壊を乗り越え、愚者の旅は輝く美しい世界へと到達します。
    世界のあらゆる美しさと輝きがそこにはあり、神聖の一部として受け入れられた魂は癒され、無償の愛と永久に輝く希望を知るのです。
    物質的な豊かさや成功を示す希望ではなく、神聖な領域での気づきと魂の目的が光となって示されます。
    そこで、世界に愛と希望を返していく存在として、星のように輝く高次の精神を得られるでしょうか? 他の魂たちを導き、世界に癒しと平和をもたらす存在へと変われるのでしょうか?

    日本の伝統では、人としての輪廻転生をやめ、他者を導き守る存在となったのが神様だと言われます。それは魂の旅においてのみの選択肢ではありません。
    人生の中でも、世界の一部として自分自身の存在を捉え、希望と愛を持ち、他者や世界のために輝くことを選ぶ精神は存在します。自分が何かを得るために行動しようとすることではなく、希望と癒しと平和を世界へ広げる光となった人たちは、スターと呼ばれるのです。
    本質的に重要なのは、実際のスターとしての成功や影響力の大きさではありません。誰かの光となることは、誰にでも、いつでも出来るのです。

  • ⅩⅧ.幻想のなかに神聖な世界の真実を反映する月

    愚者の旅は死後に魂が帰っていく場所のさらにその先へ、神聖な世界の真理へと近づこうとする渇望へと変わります。
    物質世界を超えた領域では、すべての真実は雲と影の向こうに隠され、無意識のさらに先の領域での幻想と夢のような世界に現れては消えていきます。
    月は、神聖な唯一の存在である太陽の光を反映して光り、真実に近いものを映しては惑わす不思議な存在の象徴です。
    この領域では常に惑い、妄想や狂気に陥る危険性と隣り合わせになりながら、隠された秘密に翻弄されるのです。

    月は無意識や直観、第六感やスピリチュアル的な能力と深く関係したカードです。それと同時に、その世界にのめり込んで抜け出せなくなり、理性と客観性を無くし、現実へと帰って来れなくなる危険性を忠告します。
    魂の修行において、もっとも典型的で重大な課題を象徴したカードなのです。

  • ⅩⅨ.生命の源でありすべての存在を育む中心、神聖な太陽

    幻想の領域を抜け出した魂は、神聖な唯一の存在=ワンネスのことを思い出し、そこに還ろうとします。
    遥か昔から太陽は、神聖な力の象徴とされてきました。
    すべての魂は神聖の一部として現世に生まれ、神聖な存在と魂の過去については忘れてしまいますが、生きる間にまた魂の修行を続け、神聖へと還っていこうとするのです。
    タロットカードのなかでも最も大きく力強く描かれた太陽と、そのシンボルを身にまとう赤子は、生まれてくる存在はすべて神聖な力によって祝福され、後押しされて進む神聖な子であるという、最もシンプルで強力な、世界と個々についての概念を象徴します。

    タロットカードは、長い歴史のなかで多くの神話やあらゆる宗教・思想の影響を受け、人々のあらゆる知恵をくみ取って現代へと紡がれてきました。タロットカードが象徴する物語は、決して一つの思想に偏るものではなく、すべての人の思想と価値観に反映されて変化していくものです。

  • ⅩⅩ.復活のチャンスを与えられ、次のサイクルへと向かうときの審判とは

    祝福された太陽の子は、審判の日に復活と新たな始まりのチャンスを与えられます。
    望むなら過去のしがらみや苦痛を捨て、また人として魂の旅を続けることが出来るというチャンスでもあり、このときに神聖な啓示を得てまったく違う旅へと向かうことも出来るでしょう。
    ほとんどすべての人が覚えていませんが、このときに自らが魂の旅の次のサイクルを選択し、新たに学ぶための試練や自らの魂の目的を定めているのかもしれません。
    勇気と希望を持って進むのか?償いや成長のために厳しい道を選ぶのか?地上の誰かを導くような存在になるために明確な目標を定めるのか?……魂の本質的な選択と、向き合うときです。

    サイクルの終わりには常に新たな世界への始まりがあります。このとき、神聖な世界で裁きを受け、自ら選ぶことは出来ない運命を進むと捉えますか? 自らが定める選択のときと信じますか?
    命と魂のサイクル、輪廻転生における運命の捉え方は、人生におけるあらゆる事柄の根幹となる概念として影響を与え、重要な意味を持つでしょう。

  • ⅩⅪ.すべてがここにあり、すべてが祝福される世界

    愚者の旅の終わりに、到達するのはどんな試練でもなく、すべての完全性とすべての祝福の先にあるものです。
    世界のカードの4大エレメントとその中心にいる人物で象徴されるのは、この世のすべての存在とエネルギーとの融合であり、同一性です。
    次のサイクルへの入口の輪を背に、時とも一体化した世界で、喜びと祝福のダンスは永遠に続き、そしてかすめては消えていく一瞬の神聖な光の中にあります。
    タロットカードの大アルカナの物語の終わりが象徴するのは、誰もその本当の真理を知らない領域での完璧な集大成であり、そこにある無限の素晴らしさです。
    また愚者へと戻っていくこの旅では、何を得たのでしょう?次のサイクルへと永遠に続く宇宙の法則は、何を表すのでしょう?その中での人の人生とは、なんなのでしょう?
    世界のカードは、そんなあらゆる問いに答えることはせず、同時にそのあらゆる問いに対するすべての答えを提供します。

    タロットカードの物語には、本来、テーマも真相も流れも存在しません。すべては言葉で伝えることが出来ない知恵の象徴であり、想像やエネルギーや神聖な力など、感じることでのみ得られる領域のことです。
    誰もが感覚的に感じ受け取れるような形で、でも決して掴めない形で紡がれてきたタロットカードの知恵を、この物語の結末が象徴しているとも言えるでしょう。

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